メッセージを送る側は「簡潔で短いコトバ」でヒトを動かすコトを良しとする。
心理や社会適応の“ソ リューション”を読むこと・書くこと - シロクマの屑籠(汎適所属)短いライフハック文章で解決が得られるとか、“魔法の言葉”で芯から安心が得られる、ひいては心理や社会適応が変わる、ということのほうが、 むし ろ不自然で恐ろしいことだと思いませんか?
例えば、どこかのblogの「○○するためのライフハック」 みたいな箇条書きで実際に心理や社会適応が変わる人って、逆に言えば、言葉に対する 被影響性が滅茶苦茶高いってことじゃないですか?そういう人は、人か ら何か言葉を与えられるたびにいちいち影響を蒙るでしょうし、生活や社会適応の指針をろくに持っていない、ということかもしれません。ネット上のライフ ハックを脊髄反射的 に ありがたがる人というのは、ワイドショーのダイエット特集に右往左往する視聴者と、基本的にはなにも変わりません。売り文句やキャッチフレーズに弱くて、 いつも廻し釣りされているイージーフィッシュ、とも言えるでしょう。
確かに溢れ返る膨大なコトバに、いちいち人生変えられてるようじゃコワイよね。
しかし逆の立ち位置、メッセージを送る側の立場で見れば「簡潔で短いコトバ」で本質を鷲掴みにして、あたかも頓 悟するような作用を起こすのが理想でもある。「あ、なるほど」と膝打ってひらめくような「気づき」を作用するというか。
もちろん、そういうコトバは「準備のできているヒト」にしか正しく作用しなくて、引用元の記事、後半でいわれている「文脈」の共有は無視できない。
「文脈」の共有は「師承」のような個人から個人へ注いでいくやり方もあるし、テキストやニュースメディアなどからの独習, コミュニティに入り込むことで「朱に交わる」方法なんかがあるのかな。
例えばtwitterなどのソーシャルメディアなんかは「文脈」を共有していくツールとして、面白いかもしれない。崇拝者と教祖、みたいなキモチワ ルイ関係も形作られるだろうけど、梅田望夫が「私 塾のすすめ」で熱っぽく語った私塾も形作られつつある。少なくとも私淑にはもってこいのツールだよな。
もちろん、科学反応のように、ある「コトバ」から全く意図と異なるものが生まれてくる楽しさ, 面白さもあって。なんでもかんでも「文脈」を共有しなくたっていいんだけどね。