「情報資産」を保管し交換するプラットフォームとしてのWebが十分に成熟してきたってコトだよね。喜ばしいことじゃないか。 #Web

 昔、何かやろうとして、詰まって質問でもしようものなら、コミュニティから「然るべき自助努力を払ってから質問すべき」みたいな敷居があっ た。 ネットに限らず、誰かにモノを聞くときの資格ってのが、何となくあって、それに答える相手のコストなんてのも考えなければいけないという不文律が感じられ た。

 でも、パソコン通信から2ちゃんねる、mixi、ブログと移ってきて、現在ではtwitterの世界になり、基礎的な知識はまあググるか、ヤ フー 智恵袋みたいなお手軽な情報サイトに頼る人も増えたみたいだ。レシピサイトであれテキストサイトであれ、その道が好きだ、と思う人は、まずどっぷりそっち 方面が充実しているサイトを読んでだいたい満足してしまうような感じになってる。

「過 去ログ 嫁」文化の喪失がネットを一般化するのか - Lead-off man's Blog

これってつまり:

  • 「ストック」にしていくための器が充実してきた
    「ヤフー知恵袋みたいなお手軽情報サイト」や、レシピサイトやら。今のWebはパーマネントリンクがつくやつは「ストック」でいい気もするけど。
  • 「ストック」から情報を取り出すための「技術」がアタリマエになった
    欲しい情報があれば「検索」する, 情報が沢山あれば「フィルタリング」するってのが、サービス提供側でも利用者側でもアタリマエになった。
  • 「聞きたい人」に対する「答えたい人」の数が、昔と比べて増えた

このあたりの結果として「人に聞くよりも検索した方が楽」もしくは「闇雲に聞くよりも答えたい人に聞いた方が早い」って行動パターンが定着してき たってコトなんじゃないかな。並行して世代交代が進んできた, 振る舞いがオトナになってきたってのもあるだろうけれど。

もちろん個別事例を見れば、そうでない(まさしく「過去ログ嫁」な事例)は数えるのもバカらしいほどあるだろうけどね。でも敷居(「そのアタリマエ でしょ?」「そのくらい勉強してきてよ」)は昔と比べるとぐっと下がったんじゃないかな。

つまり「情報資産」を保管し交換するプラットフォームとしてのWebが十分に成熟してきたってコトだよね。喜ばしいことじゃないか。

もかしたら、人の話を「聞く」ってコトは、ツマラナイのがアタリマエなのかもしれない。そういう前提に立った方が、話を聞くことは楽しめるのかもしれない。

御厨:その思いやりにも通じますが、僕が話を聞く時に、絶 対にやらないようにしていることが一つあります。そ れは相手の話をまとめないこと。相手は一所懸命にしゃべろうとしているけど、言いたい内容にふさわしい言葉がなかなか出てこなくて、ああでもないこうでも ないと話が行きつ戻りつしている。それを、利口な人はまとめようとするんですね。
「要するに、あなたの言いたいことはこれでしょう」と。

糸井:ヤですねえ。

御厨:これをやられると、話し手はがっかりする。「まあ、君がそう言ってるんだから、そうだろ」と納得のいかないまま、 話を終わらせることもある。とにかく僕は、相手が言い終わるまでずーっと聞くようにしています。

「僕が人の話 を聞く時に、絶対にやらないようにしていることが一つあります」 - 活字中毒R。

ついついやってる。しかも相手が「がっかりする」なんて想像もしてなかった。

しかも、これをやるときって時間が惜しいときやイライラしてるときが多いから、当たりもキツくなりがちで。話し手はダブルショックになるわけな。

もしかしたら、人の話を「聞く/聴く」ってコトは、ツマラナイのがアタリマエなのかもしれない。たまに面白かったり、ためになったりすることもあ るってだけで。むしろ後者は「特異」な例外であって。

そういう前提で、相手の話を聞くと「意外に面白いな」って部分が出てきたり、あるいはもっと積極的に「面白い部分を掘り出してやろう」ってなれるの かもしれないね。今度、試してみよう。

日本に「成熟した大人の文化」がないわけじゃない。ただ、その在り方が収集し保護/保管ってカタチであるだけで。

NYCはMuseumに代表される「成熟した大人の文化」が栄えています。この点が東京とは大違いだと 思います。日本でも会社員が定時に帰宅して、夕方Museumを訪れたり、 音楽会を訪れる生活になればもっと日本の文化も良く なるのにと思います。米国で最も忙しい街の一つであるNYC でできる事が、日本ではなぜ出来ないのだろうかと私はNYC滞在中に何度もこの件について考えました。日本よりも労働時間が短いにも関わら ず、日本以上に経済も文化も発展している米国社会。日本と米国では条件が色々と違うでしょうが、それでも日本が見習うべき点がここにあるように思えます。
NYC  会社員が定時に帰宅して、夕方Museumを訪れる街 - The Wisdom of Crowds – JP

多分、日本では「文化的な活動」といえば, あるいは「文化」を愛でるといえば、集取し保護/保管することであって、それを体験し、楽しむことでは ないんだろうな。

大切なものには手を触れてはいけない。

そういうコモンセンスが「社会」って構造の底の方にがっしり根をはっている。そんな気がするんだ。

それが単に感覚の違いなのか、社会的な壮大なカンチガイなのかボクは知見を持っていないけれど。でも文化を「体験し、楽しむ」方がボクは好きだ。

「できること、得意なこと」と「努力の成果」を過小評価し、おとしめていけないのは他者に対してもそうだよな、と思った。 @beck さんのポストを読んで。

但し、僕はバレーボールのコーチを行っていた身として、一つだけちゃんと主張しておきたいことがありま す。それは、「自分ができること、得意なこと」と「努力の成果」は過小評価し、おとしめてはいけないと言うことです。 うわべを謙遜して、実は裏では「おれすげー」って話なら別に良いのですが、そういうわけでもなさそうでしたので。
自分が何者かを決めるの はあくまで他人 - Hacks for Creative Life!

これって「他者」に対しても同じだよね。

特に子供に対して、そのような視点でモノを言えるかどうか。それで子供の未来が大きく変わってしまうかもしれない。……うーん、全然できてないよ なぁ。

もちろん、子供以外でも同じ。きちんと評価してくれる人と一緒に働くのは気持ちよくて、パフォーマンスも高いよね。成長を妨げる「オレなんかどー せ」って気持ちを持つ暇もなく忙しくなったりして。

iPadに対する「日本の業界」の反応にみる「足の引っ張り合い」の文化にため息をつく。

 一方で日本の出版業界はiPadに強い関心を示しているものの、積極的に電子出版に乗り出そうとする ところはまだ少ないようだ。ある業界関係者は「電子出版に前向きに取り組んでいる出版社だという評判がたつと、業界内で裏切り者扱いされる」と語る。また 関係筋によると、大手ビジネス総合誌の編集部が電子 出版の特集の取材を進めていたところ、出版直前に経営層から同特集の掲載中止を命じられたという。この雑誌で経営が編集内容に口出しするのは異例のことら しく、また明確な理由も示されていないもよう。「業界内で裏切り者扱いされるかもしれないという経営陣の自主規制ではないか」(同関係筋)という。
iPadに期待する米出版業 界、期待すれば裏切り者扱いされる日本の業界【湯川】 - Tech Wave

足の引っ張り合いの文化だよなぁ。

このエピソードからみるに、やっぱり「現場」では感度のいいヒトがいて、必ずしも変化を嫌う反応ばかりではないハズなんだよね。ところが、上の層で は(感度の良し悪しや「変化」への姿勢はわからないけど)横を眺めて、足を引っ張られないような配慮が意思決定で優先されている様子が見える。

これが出版社だけならまだいい(代替の情報源があるから)のだけどなぁ。

とりあえず「足を引っ張るのが上手い, 引っ張られる隙がない」というような個性が幅をきかすような社会はツマラナイよね。少なくともボクは、そう いう社会で生き残れる自信がないし(笑)。

iPadに関する @KenN のレビューを読んで、ますます欲しくなってしまった。でも、今は我慢ガマン。 #apple #ipad

結論を先にまとめると、「新しい製品カテゴリを創造し定着させる力のある、革命的だが地に足の着いた素晴らしい製品である」と同 時に 「その革命性ゆえ、そのゴールにたどり着くまでにはまだ少し時間がかかるだろう」ということです。

以下具体的に、「期待以上に良いところ」「時間が解決するであろう課題」「時間がたっても解決しない可能性 が高 い課題」の3つに分けて挙げてみます。

iPad 初体験レビュー - Kenn's Clairvoyance

こういう熱のこもったレビューを書かれると、やっぱり欲しくなってしまう。特に期待が大きいのは:

良かったところのなかでも特に新鮮だったのは、大画面+マルチタッチだと複数人で一緒に何かをするのが 楽しいという点です。先程も友人たちと四人で、テー ブルの真ん中にiPadを置いてマップを広げ、あそこのカフェが良かった、こっちのカフェも良かったよ、というような情報共有をしたのですが、どの椅子に 座っている人でも手を伸ばしてマップを操作すればサクサクと地図を動かせて、ズームしたり、ピンを置いてストリートビューでカフェの外観を見てみたり、と いう操作が当たり前の感覚で自然に行えたのは、ノートパソコンとは完全に別次元の感動的な使い心地でした。エアホッケーや将棋のように対面の二人でプレイ するゲームなどにも最高のデバイスでしょう。

このあたり。純粋にゲームを息子たちと遊ぶ(例えば近い未来のテーブルトーク RPGはこうなる?カーネギーメロン大学で研究中の「SurfaceScapes」 « beeep! 国内外のゲーム情報総合サイトのようなも のは確実にiPadに出てくるハズ)のに良いし、例えばネットで見つけた面白い動画を見る、なんて用途にもいい。とにかく「みんなでわいわい」囲めるデバ イスが欲しかったんだよね。

でも、我が家への導入は「家族一人に一台」レベルまで値段が下がってから。それまでは欲しくても我慢ガマン。

もちろんお財布の事情ってのものもある。あるけれど、それ以上に、その頃には、ここで指摘されている課題のうち「時間が解決する」だろうものは解決 済みと期待できるし、そうでないものも、もしかしたら解決されてるかもしれないからね。

特に単体で動く前提になっていない, クラウドとの連携が前提になってないってのはイタイよな。iPadのユースケースからすると特に。

ピグマリオンコンプレックスが成立するなら、異種族に対する恋愛/性欲も成立するよね。 #fantasy

「ファンタジー世界での異種族間恋愛って、現実にはどうなのだろう」という曖昧なつぶやきから、SFや 生物学まで含めた議論に発展。結論は出なかったもの の、興味深いやり取り多数。
異種族間恋愛と性欲、そしてそれらは存在し得るのか - Togetter

まず生殖の可否と恋愛感情, 性欲は切り離していいだろうね。

少なくとも人間サイドでは、生殖の可否を無視して恋愛し、性欲を生じる例が多数みられる。それらは「特殊」な事例であるかもしれないけれど、人間の「脳」 は、その「特殊」を許容する程度には柔軟に作られているみたいだ。

では、全くの異種族に対して「恋愛」したり「性欲」を感じたりできるだろうか?

恋愛や性欲を「脳」の中で起きる、ある種の事象(電気パルスのパターンやホルモンの分泌パターンなど)である、と仮定すれば十分にありうる話だと思 う。

ボクらの「脳」は、それを可能にする程度には「不条理」だ。愛玩動物やモノに対して「恋愛」や「性欲」に近似の事象が脳内で起きることは、もしかし たら珍しくもないんじゃないかな。

つまりこういうこと。ピ グマリオンコンプレックスが成立するなら、異種族に対する恋愛/性欲も成立するよね。

「FREE」のモデルで「無料」なのはコストではなく、受益者の支払いよね。その辺りを混同すると幾らでも好きに言えちゃうよね #free

週 刊ダイヤモンド」3月13日号は、ベストセラー『FREE』を特集していました。しかし、私の著書『ネット帝国主義と日本の敗北』をお読みくださった方なら容易に推察できるように、私は『FREE』で述べられ ている考えが大嫌いです。そこで今週は、『FREE』の何が問題かを説明したいと思います。
日本のためにならない「FREE」礼賛論を疑 え! - 岸博幸のクリエイティブ国富論

引用元の記事の主張は:

  • 経済学的に「フリーランチはない」のアタリマエ ("無料"なんて成立しえない)
  • ビジネスモデルとして「広告モデル」なんて現実には成立しない
  • デジタルがコンテンツを無料にするなんて、都合のいい嘘だ

こんなところかな。

まずFREEで は「フリーランチ」に関して言及してないよね。単に「受益者自身以外に支払いをさせる」というモデルを基点に据えているだけで。 4140814047

第二に、ビジネスモデルとしての「広告モデル」は、まだこれから試行錯誤が続いていくよね。そりゃGoogleなどの広告プロバイダやアフィリエイ トで稼ぐモデルはとっくに頭打ちになっていて儲かっているのは広告プロバイダとマンモス級のページビューをたたき出しているサイト/サービスだけって印象 になっているのは否めないけれど。例えばFoursquareなどの位置情報サービスでは、位置情報と直接に連動する, あるいは現実の店舗と連動するなどの形で、これまでとは少し違った「広告」ビジネスを展開する可能性を見せている。

だいたい「広告」でビジネスが成り立たないという命題が真であるならば、ほとんどのマスメディアのビジネスモデルは成り立たないじゃない。そして、 既存のマスメディアとネット企業とで比較したとき、限界費用の圧倒的に安いネット企業の有利は必然だよね。

それから最後の「デジタルがコンテンツを無料にする」に関しても、これはやっぱり中長期的には限りなく真に近づくのは間違いない。なぜなら:

  • ネットの出現により「コンテンツ」の制作/供給はプロの特権ではなくなった
  • デジタル化された「コンテンツ」は限界費用が限りなく0に近づく

からだ。

プロフェッショナルはこれから、圧倒的多数の「アマチュアたち」との戦いを強いられる。彼らは楽しみのために「コンテンツ」を作り、供給するがゆえ に、そのコストが受益者に振り向けられることはない(=フリー)である。しかも、圧倒的多数であるがために、例え99.99%がゴミのようなものであって も残り0.01%の優れたコンテンツがプロフェッショナルへの脅威となる。

またプロフェッショナルたちに限ってみても、すでに「コンテンツ」の過剰供給は明らかであり、コスト削減は必ず遠からず命題になる。そのとき彼らは きっと「デジタル化」に手をだす。なぜならコスト面での効果があまりに大きいから。

そのとき、プロフェッショナルの高コストな(でもアマチュアのコンテンツと条件を近しくすれば必ず需要はある)「コンテンツ」の制作コストはどこか ら調達するのだろうか? 受益者? おそらく、そうではないだろう……ってのはFREEを少し読んだだけでも想像がつくところだと思うんだよね。

以上。