Q. 「Zyncro」の中で完結するという新しいグループウェアなのか?A. ツイッターやFacebookにも情報を流すことができる。これまでのグループウェアよりもオープンである。今までのグループウェアがなくなって良い、と いうことではない。グループウェアに登録されると「Zyncro」にも流れる、という連携を売りにしている。
僕のプレゼンでは十分お伝えできなかったのですが、Zyncro社のLuisが強調していたこの点がZyncro を非常に特徴的なサービスにしています。つまり、Twitter、Facebook、Evernote等のインターネット上の サービスはもちろん、あらゆる企業内システムとも連携ができる、というのがZyncroの特長です。
グループウェアはもちろん、BI(ビジネス・インテリジェンス)やERP等の基幹系のアプリケーションとも連携が 可能です。あらゆるシステムに対してソーシャルな要素をアドオンできるのが、Zyncroのすばらしいところです。
「Zyncro(ジ ンクロ)」ブロガーミーティングに関するブログ記事のまとめ。 #zyncro_jp - オーシャンブリッジ 高山のブログ
これは面白そうだね。クラウドベースの仮想ワークスペースといった感じ。会社をまたいで情報を共有できるみたい。
ビジネスパーソンをターゲットにしたソーシャルサービスに欠けている機能が「作業場所」であることだとボクはずっと思っている。
SOHOビジネスから受け入れが始まってくんだろうな。例えばGoogle Appsですらセキュリティの「不安」を解消できず手が出ない大企業には、なかなか受け入れられないだろうから。
——お茶くみ以外 には、何か職場で感じている問題はある?ゴミ捨てですね。これも社内 で明確な当番がないのですが、何となく私に仕事が集中することが多くて。私は総合職なので、他の男性社員と立場は変わらないはず なんですが、私に雑用が集中するのはおかしいと思いませんか。
——まあ、若手に 任される雑用は多いよね。でも、それはたぶんどの業種でも似たようなものだと思うよ。後輩が入ってくるのを待つしかないとい うか。ゴミ捨てとかって、誰もやり たくない仕事じゃないですか。そういう仕事を後輩に押しつけていくのが納得いかないんですよ。みんなが自分のゴミを自分で処理す れば済む話じゃないですか。
なんで私がお茶くみ、コ ピー取りしなきゃいけないの? 上司も煙たがるゆとりちゃんの過剰な権利意識 - DIAMOND ONLINE
彼女の考えたの良し悪しや妥当性はひとまず横において。
誰かがやらなければならない仕事で、それが自分にもできるならやればいいじゃん、と思ったりするんだよね。「押し付け」られてるんじゃなく て、「引き受け」るんだって姿勢の方がやる方も気持ちいい。
そりゃ確かに「契約」(就業規則も含めて)にはないことなんだけど。
まぁ、ボクも入社したての頃は似たようなコトを思った。いつの間にか、考え方が変わってきてたなぁ。職場の高年齢化が進んでる関係で未だに (相対的には)下っ端なので、雑用を押し付ける立場に変わったからってコトが理由ではない。
この記事のさらに後の方で、なんでもかんでも「ルールにしてくれれば」という発言もあるけど、それって一種の幼児性の発露だよなぁ、とか 思ったりもした。確かに明文化されたルールは必要だけど、なんでもかんでも「ルールになってないから」なんて言い出すのは子供の在り方だよ ね。
ルール化するってのは、いちいち各自の頭で判断するコスト, 判断に対して責任を取る(ことによって生じる)リスクを合理化するって側面もある。度が過ぎれば「自分で判断するのも、その責任を負うのもイヤ」っていう コドモの姿勢が透けて見えるよね。
・ この結果として、インターネットは急速に”あなたが見たいだろう”とインターネットが考えるものをあなたに見せるようになっており、 そしてそれは必ずしも”あなたが見なければならない”ものではない。 ・このような”Personalization”の技術に取り囲まれて生活するようになると、あなたは正に私が”Filter Bubble”と呼ぶものに囲まれることになる。 ・”Filter Bubble”の形はそれぞれのユーザーによって異なっており、その決定権はあなたにはない。そしてより重要なことはそれがどんな情報をはじき出している のかあなたにはわからない。
イ ンターネットを使う人が知っておくべきこれからのインターネットがもつ秘密 - Don't be lame
Bubbleに閉じこもる傾向はFilter Bubble以前のインターネットにもあったと思う。そもそもインターネット以前の時代にも「タコツボ化」なんてコトバがあったくらいだし。「朱に交われ ば赤くなる」の相互作用で、最初は多様であったネットワーク(人間関係の)も、やがてある程度の範囲の違いにおさまっていったりもして。
でも、確かにFilter Bubbleによって、知らぬうちにその傾向が加速(質的変化を伴うほどに!)してしまったことも確かだよね。偏りに自覚的であれば、対抗することはでき るとは思うけど……しかし、多くの場合は自覚しないうちにそれが進むからこそ難しい問題なわけで。
不完全な解決策としてはtwitterがあるかもしれない。意識的に自分とはセンスの違う人をフォローしていく、とかね。でも、そんな人を どうやって探すのさ? という問題は依然として残るよな。
極端に考えて、否応なしに、ランダムに人と人, 情報を引き合わせるサービスなんてものを使い続ければ多様性は担保できるかもしれない。で も、そんなサービスを誰が使う?
なかなか「仕組み」として解決するのは難しい問題だよな。「たっ た一つの冴えたやりかた」を諦めて、地道に自分を見つめ直したり、自分とはセンスの違う人を探してフォローしたり、たまに自分が 普段は行かないような場所に足を運んだり……小さな積み重ねをしていくより他にないのかもしれない。
あとは、いっそ開き直ってFiliter Bubbleの居心地の良さに身を委ねるなんて選択肢もある。きっと揺り籠のように快適だし。た ぶん、ほとんどの人は無自覚にそれを選択するんだろうな。
でも早く大人になりたいボクたちは、そこから出て行くためにもがくんだ。