問題解決のための「統計」は、問題の定義の失敗だけでなく、仮説の設定の失敗によっても歪められるんだね。

 しかし実は、政府も地方自治体が保育所の整備の指標としている「待機児童数」は、適切な政策目標ではないと考えています。待機児童数は、子供 の数そのも のにも依存しますので、保育所の整備が進んでも必ずしも改善するとは限らないのです。

 保育所が整備されれば、子供を持とうと考える若い夫婦が「この地域なら産めるだろう」と思って住み、実際には待機児童になる可能性があります。

 逆に、保育所の整備が遅れれば、そもそも子供を産むのを断念する可能性があり、「待機児童」は生まれません。この事情を、「待機児童」という指標ではと らえ切れていない。

「ど うせ産めないから…」未婚族の本音? - 日経ビジネスオンライン

「少子化」の問題に関する話としても読めるし、統計のとり方, 読み方の常識としても読める面白いインタビュー記事。ボクは前者のつもりで読み始めて、読んでる最中に興味が後者にシフトしてしまった。

少子化問題に限らず、問題解決の過程では無数の「統計」を取られることはよくある。なんたって日本人は「統計」が匂わせる安心感がダイスキだから。

その時、そもそも「問題」の定義にコケてれば統計自体が無意味だってコトは、よく意識されてると思う。でも、同じくらい「仮説」の設定に失敗してい れば(あるいは、仮説が恣意的であれば)、同じくらい統計自体が無意味なものになるんだよね。