ボクは「明治時代」がスキなんではなく「司馬遼太郎の創作した明治時代の英雄たち」がスキなんだよな、というコトをあらためて思い直した。

幕末の物語や「坂の上 の雲」に描かれた司馬遼 太郎の願望のなかだけで造形された若い英雄たちはテレビの「ド キュメンタリー」や「歴史番組」を通じて、すっかり「現実の歴史人物」になってしまった。

司馬遼 太郎は、きっと天国で苦笑いしているでしょう。

ひょっとすると温厚な風貌に似ず、激怒しているかもしれません。

しかも、司馬遼 太郎が創作した人物を歴史的な事実であって、だから日本人は優秀なのさ、と話たがる日本人は、みな司馬遼 太郎が吐き気がするほど嫌いだ、と述べたまさにその傲慢な「ムラ社会人 間」たちそのものであるという皮肉な副産物まで生じた。

司馬遼 太郎がつくりあげた壮麗な「こうでありえたかもしれない日本」は、彼の小説家としてのすぐれた 才能ゆえにかえって現実の歴史に対する巨大な消しゴムと なって、実際の「明治時代」を痕跡ないまでに消してし まった感があります。

坂の上の雲_「明治 時代」は存在したか? - ガメ・オベールの日本語練習帳iii-大庭亀夫の生活と意見

確かにそうだよな。

ボクも、日本の歴史の中でいちばん惹かれるのは何時代かと言われれば「明治時代」を挙げるクチだけど。でも、ボクが知る「明治時代」の大半は、直接 /間接を引っくるめて司馬遼太郎の筆なり口なりで語られたものがベースになっている。だから、ボクが本当にスキなのは「明治時代」ではなくて司馬遼 太郎の願望のなかだけで造形された若い英雄たちなんだよな。

時々、それを忘れてしまいそうになるから。そういう意味で、自分の感覚を見直すよいキッカケになった。

しかし、こうして多くのヒトたちに、現実と創作の境を曖昧に酩酊させる司馬遼太郎というヒトは、やはり創作者として大きな力を持ってたんだよなぁ。