「製品」の競争力はジャパネットたかた式の売り込みが、製品設計のレベルから織り込まれているかどうかに尽きるんじゃないか。

 こうした現象は、日本国内に限りません。世界的に見ても、モノにも食べ物にも苦労しない社会階層が相 当に拡大しつつある。こうした状況の中で、「機能」 や「性能」だけで争う市場をいくら造ろうとしても、こうした社会階層に対しては、「機能」/「性能」を必要とする生活自体をデザインしてかからなければ、 そしてその生活に魅力がなければ、モノの方にも、誰もコミットしてくれない。
モ ノの競争力からライフスタイルの競争力へ - 村上敬亮 情報産業の未来図

ボクたちが欲しいのは「モノ」ではなく「体験」だって話だよね。その「モノ」が、ボクたちの「生活体験」をどう快適にしてくれるか, あるいは演出してくれるか。

ソフトウェアの側では、すでにUser Experience Designというコトバで、製品設計に取り込まれ始めている。これが物理的な「モノ」としての製品にも求められるように なっていくんだろう、というのが引用元記事の主張なんだと理解した。

そのあたりのシフトは「消費者」サイドから言わせてもらえば「モノに囲まれているのに疲れた」とか「モノが欲しいわけじゃない」とかでは決してな い。

単に、苦しい台所事情の中で優先順位付けがシビアになってきてて、また、その尺度が:

  • ボク(たち)の生活に必要不可欠か?
  • ボク(たち)の生活を心地よくしてくれるか?
というトコロに移り、ステータスシンボルとしての「モノ」が、ここに入り込めないのは、ごくごく単純に「カネがない」からだ。

その中で前者に合致しないもの(自動車や冷蔵庫)が若者の間で増えてきたのは確かに「コンビニ」であったり「交通機関」であったりといった、社会インフラ が整ってきたからだろうとは思う。

後者に関しては、すでに「モノ」の性能が十分によくなったので最低ランクの「モノ」の「機能」や「スペック」でも満足されてしまうってコトなんだろうね。 だから「機能」や「スペック」そのものは、製品を差別化する要素にはなりない。だから、製品の競争力は、この製品をこういう風に使ったら……という、ジャ パネットたかた式の売り込みが、製品設計レベルから織り込まれているかどうかに尽きるんじゃないか。

そんなコトをつらつら思った昼下がりなんである。